図書館で思案。
今日は、図書館へ。
仮に…写真を撮る立場として
ファッションビジュアルを
やりたいのだと一回決めて。
そしたらファッション雑誌に乗りたいし、
だから今流行りの雑誌を
ザッピングして、
誰がフォトグラファーなのか
アートディレクターなのか、
その人は過去にどんな事してきたのか。
そして、そうなりたいと思うのか?
自分の心の揺れを知りたいと思って、
図書館行ってきた。
思ったことを順番に。
→なんか、好きな写真とどうでもいい写真があるなぁ。例えば写真家になったら私の好きな世界観じゃなくてもオーダー通りに撮る。事もあるよな。
それは構わないが、
やはり、その世界観を作るアートディレクターの方が羨ましく思えてきたな…?
やはりアートディレクターになって
ビジュアル指揮をとりたいのか?
だって写真家ってシャッター切るだけじゃん。その世界観作りをしてるのはアートディレクターじゃん。
世界観作りに貢献してる実感て湧くのかな?(くっそ失礼を承知の上です)
→あ、でもこの写真カッコいい。
どうやって撮ってるんだろ。
多分陰影のグラデーションが綺麗だからだ。
やっぱり「良く見せる技術がある」って凄い武器だな…
そういうのを見るとやはりその技術が知りたくてカメラマンの道を考えてしまう…
ディレクションすっ飛ばして、その技術を使って写したカメラマンの腕と判断が良いから、良く見えるんだもん。
アートディレクターはオッケー出すか出さないかで、それって凄い技術が無くても出来るじゃん…
凄い武器を持ってるそのカメラマンの腕で作品ができてるもんだし。
→あー!!堂々巡りだ!
→もしかして、ツールは関係なく、
「あなたらしいね」と言われるものが欲しいのかも。周りから認められる位の得意なものが欲しい。
確かに、独自の路線を貫いてる人って凄い悔しいし嫉妬する。
私のことも見て!って思っちゃう…
→その後、フォトグラファー兼アートディレクターのクレジットも見つける。
両方やれる人もいるのかー、そうだよねー、、そういう選択肢も…うーん。
→でもね…カメラマンになりたい覚悟があるのなら、もうペーパードライバー講習にも行ってるし、履歴書も応募したり、知り合いのカメラマンにアポとったりしてるのでは??
→イマイチ踏み切れないって事は
心のどこかで「本気でやりたいと思ってない」って事なのかな…?
確かに、親や誰かに散々、
「私はビジュアル作りがやりたいので、だから写真の道に進む事が必要」
だと熱く語ったけど、「じゃ、そこまで言うならやってみなよ」って言われた途端、特に嬉しくない自分がいたな。くそ。
だって冷静に考えると、
一番の目標って、ビジュアル作りがしたい。ではない。
一番の目標は、好きなもの、好きな思想の近くに自分が入れれば良い。
あ…そうか。
その好きなものからインスピレーションを受けて、私が作って(「すごい…私も…私もなにか…」って自分もやりたがりだから)、それを「貴方らしいね!すごいね!」と言われたい。それをきっかけに、同士とコミュニケーションが取りたいのかもしれない!
それがやりがい!!なのかも!!
→あとね、カメラ一本で行くのが怖いんだと思う。
「それに飽きたら、どうするの?」
「また他のことやりたくなったらどうするの?」
またブレるんじゃないのか…っていう。
→経験上、好きなものは年を取っても変わらない。
その好きなものの近くにいくためのツールとして
「写真」で行くのか
「デザイン(ロゴや印刷物やウェブ、多岐にわたる)」なのか。
「はたまた店員さん」か?
それともまた違う何か?
そのツールに飽きてしてまわないかが心配なんだよ。
「写真」を選べば→耐えられるか?飽きないか?生き残れるか?
「デザイン」選べば→また嫌にならないか?苦しくならないか?何かに繋がるのか?
「店員」を選べば→一回経験して暇すぎがつらくて辞めてるぞ?生産性がないとか言って何か発信したいとか言い出して辞めるのでは?
でもきっとやりがいがあれば、
大丈夫なのかな。
どのツールが、一番私らしくやりがいを出せそうかな。
思考がウロウロ、ウロウロ。
迷った時の判断ポイントとしては
「長い目で考える」
「理想の自分はどちらの選択を選ぶだろうか」…
地に足つけて、リアルに、
すごくリアルに、
未来像を想像して考えよう。。